2022-03-12 見たいように世界を見る
ひとは、自分が思い込んでいるように世界を見ている。
これまでも思い知らされてきたことだけれど、ここ数年は特に、自分が考えていたよりもそれぞれの世界はまるで違うし、遠いところにあるという認識を新たにしているような気がする。分かっていたことのはずなのに「いや、でもこれほどまでに?」という驚きと多少の失望によって、その枠は少しずつ更新される。ずいぶん余裕をもって広げたつもりだけれどまだまだ広がってゆくんだろう。だって私も、自分が見ているように世界を見るのだから。
私の方からはある程度その人の見ている世界が想像できると思うこともあるけれどそれだって思い込みかもしれない。たぶん思い込みなんだろう。だから毎回驚くのだもの。
でも、ああ、違うんだなあ、とただそのことをそのまま受け止めることがまだできなくて「もうちょっと想像してくれたらいいのに」とか「あの立場なのにどうして分からないの」とつい責めたり、悲しい気持ちになることもある。それはただわたしが、自分の世界の中心で頑固に足を踏ん張っているからに過ぎないということも心の半分で分かりながら、でもきちんとこのことに対しては諦めたり、譲ったり、なかったことにはしたくない、という気持ちもある。それをしたらきっとほかの大事なことまでぼやけてしまうだろう。
「人はみんな違う世界を見ているんだとなんで分からないの」と諭されてしまったとしても。
ある日のび太くんの部屋の畳の下に違う世界がつながってしまって、最後その世界とだんだん離れてゆくシーンがあるのだけれど、あんなふうに、手の届かないところに